~ゆるっとサスティナブルな暮らし~
ヒトにも地球にもちょっと優しく生きたい私のブログ。
オーストラリアと日本を行ったり来たりしている2児の母。
エッセイ漫画を描いたりタロット占いが趣味。
はんなりぱろっとの日々の徒然体験談記録です。
(詳しくは、はじめましてのご挨拶を読んで頂けたら幸いです。)
オーストラリア現地の幼稚園に通い始めた娘に異常事態発生!
初登園の時に大猿化したトマ子でしたが、相変わらず大猿化する日々が続きました。
2か月ほどは大猿化していたと思います。
それがだんだんと小猿化ぐらいになってきて、「あぁ、トマ子も幼稚園に慣れて来たのかな〜」とほっとしました。
しかし、現実はそんなに甘くはなく…。
トマ子に次々と異常が発生し始めました。
食事の量が減り、
日中おもらしをすることが増え、
家に帰ると妹のまめ子にきつくあたり、
足が痛くて眠れないと夜な夜な泣き、
寝ついたと思ったら夜泣きをしました。
朝になるとお腹痛いと泣き、
少しの英語でも毛嫌いするようになりました。
元々大食いなトマ子ではありませんが、
人並みに朝昼夜、間食をバランス良く食べている方だと思います。
しかし、朝起きてはスンスン泣いているのでロクに朝食も進みません。
お昼のお弁当は半分くらいは残して帰ってきました。
(トマ子本人いわくランチタイムが短いと言っていました。トマ子は食べる速度がめっちゃゆっくりです)
幼稚園から帰宅後、大好きなおやつは食べますが、夜ご飯になると「明日学校行きたくない~」と、元気がなくなり食が進みませんでした。
幼稚園に入園してから少しトマ子は痩せてしまった。
(でも元々ポチャっとしてたから丁度良い←)
日中におもらしをすることはほとんどなかったトマ子でしたが、幼稚園に通い始めてから日中おもらしすることが増えました。
幼稚園にお迎えに行くとズボンを着替えていることも多々…。
おトイレって言えなかったのかな?と思うと胸が締め付けられる思いでした。
(これは先生ともお話しして、頻繁にトマ子をおトイレに誘ってもらうことにしました。)
幼稚園から帰宅後、トマ子は私にめちゃくちゃに甘えたいのにまめ子も私にべったりだったので
トマ子はまめ子を叩いたり、「まめ子!あっち行って!嫌い!」と、怒鳴ることが多くなりました。
ナス夫は仕事で大人が私ひとりしかいないのでまめ子を誰かに見てもらうことができなくてトマ子を思いっきり甘えさせてあげることができずに心苦しかったのを覚えています。
足が痛い。お腹が痛い。
これをトマ子は頻繁に言っていました。
就寝時に「明日学校行きたくないよ〜」としくしくと泣くんですが、ひとしきり泣くと次は「足が痛い〜!」と、半ば叫びながら泣くんです。
夜中もふと目を覚ましては「ままぁ、足が痛い〜!うぅ〜。うぉ〜ん。スンスンスンスン…ままぁ〜うえーん。」
朝起きるとまた「お腹痛い〜幼稚園行けない〜」って泣くんです。
「じゃぁ、とりあえず幼稚園行ってみて、やっぱりお腹痛かったら先生にお腹痛いって言ってみて?
そしたらママがすぐに迎えに行くから大丈夫やで♡」
と、言っても
「英語喋れないから先生に言えないよーうぁーん。」
とトマ子は再び泣き叫び。
あぁ、こりゃ〜、本当にトマ子の悲痛な心の叫びと言いますか…、
メンタルめっちゃやられてる…。
幼稚園に通い始めたトマ子のこころに異常事態で非常事態!!解決方法はいかに⁈
幼稚園に通い始めたトマ子のメンタルが非常事態~‼
どうする?母よ‼
- 食事の量が減る→「無理して食べさせない。食べろ食べろ言わない‼」
- 日中おもらしをすることが増えた。→「絶対に怒らない。過度に心配してあげない。軽~く大丈夫よん♬ママもよくおもらししてましたよ~♡って共感したり寄り添ってあげる」
- 家に帰ると妹のまめ子にきつくあたる。→思い切ってまめ子にYouTubeを見せてその内にトマ子との時間を作る。まめ子を先に寝かせてから30分ほどトマ子とママの時間を作る。日曜日に2人でデートをする」
- 足が痛くて眠れないと夜な夜な泣き。→「ただひたすらに大丈夫やで~と声をかけて抱っこ」
- 寝ついたと思ったら夜泣き→「上に同じく↑↑」
- 朝になるとお腹痛いと泣く→「抱っこしたりお腹をさすったり、とにもかくにも穏やかになだめる」
- 少しの英語でも毛嫌いするようになった→「いわゆる英語アレルギーなのでとにかく家では英語を喋らないし触れさせない。英語の絵本は日本語で読む。」
と、こんな感じで対応していました。
完全に解決したわけではありませんでしたが、
トマ子の精神状態はこれで落ち着くことがありました。
荒れ狂うトマ子に穏やかに対応していても、やはり朝は誘拐さながらにトマ子を車に乗せて登園させていました。
こんな日々が続いていて、、、お次は私に異変が…。
やっちまった!登園拒否で娘のみならず不甲斐なく母まで病んでしまった理由。
さてさて、オーストラリア現地の幼稚園に通っている娘トマ子のメンタルに異常事態の非常事態だってのに、
私まで病んでしまったよ!
やってしまった。
さて、一体どれでしょうか?
これら全てまるっとひっくるめて、こんな理由で朝ベットから起き上がれないくらい、家事もできないほどに病みました。
最初は幼稚園のお弁当も可愛いキャラ弁とか作っていました。
ランチタイムぐらいトマ子に笑って欲しいという思いで…。
夜ご飯もトマ子に喜んでもらえる料理を頑張って作っていました。
でもそんな料理も作れなくなりました。
「肩に何かがのしかかってるんじゃない?」ってぐらいに重たいんです。
「エクソシスト(悪魔祓い)必要なんちゃう⁈」ってほどやで。
イラスト↓↓↓エストシストになってる。誰やねん。ごめんなさい<m(__)m>
体全体がとにかく本当にズシっとなまりのように重い。
自分の体じゃないみたいに、動くことができなくなりました。
重力に逆らえません。
私はソファの上かベットの上に横たわることが増え、ボーッとしているだけなのにツーっと涙を流すことも多々ありました。
娘達の相手もロクにできず、その時はYouTube様に頼っていました。(懺悔)
夜は娘達の夜泣きもありましたが、夜泣きがおさまっても、私は神経が過敏になっており、眠たくても眠れない日々が続きました。
食欲もなく、一食を満足に食べられません。(つわりのように)
耳鳴りがザザー、キーン、ワーンと鳴ることが頻繁にあり、疲れているのにもう、神経がバッキバキで昼も夜も休まることが無い。
自分の体なのに動かない。
「ママ〜」と、娘達に呼ばれるだけでも私の胸がギュッとなり、受け入れてやりたいのに、
甘えさせてあげたいのに…、
でも私の心の底の方で娘たちに対して強い拒絶反応がありました。
(もう私をひとりにさせて…。もう何もしたくない。何も考えたくない…。なんて感じでした。涙)
母として娘達を受け入れてやれない自分に失望して、悲しくもなり、情けなくなりました。
この頃、私が病み、家の中が回らなくなった時にどうしていたかと言いますと、
夫がトマ子の幼稚園の送り迎えをし、ご飯を買いに行ってくれていました。
この時期に、何を隠そう、ナス夫は失業していたのだ。(たったら~♬)
私の病んだ原因8番の夫婦喧嘩の原因よ。
(彼もメンタルを病んでなかなか就活できなかった。)
夫の勤めていた会社が突然、倒産したんです。
なので私が病んでいて動けない間、子どもたちを見てもらいました。
(失業は嫌やったけど、タイミングはGOOD)
病んでいることに悩み病む私。
もう病みの負のループでございました。
私の英語力では精神科に通うのだって簡単じゃない。(むしろ、よりいっそうストレス)
私の性格上、誰かに「助けて欲しい!」って言えないし。
日本だったら
実家の母に頼ったり、(←これが一番)
気晴らしに美味しいもの食べたり大好きなショッピングしたり温泉行ったりできるのに…。
ここオーストラリアではそれが全くできないのです。
美味しいご飯屋さんも知らない。
買いたいものがない。
大好きなジャニーズのテレビ番組も見れない。
ドラマも見れない!
温泉なんてない。
カラオケない。
それにそれに、これが1番大事!
その当時、私にはなんでも悩みを打ち明けられるお友達がオーストラリアにはいなかったのです。
気軽に誘って誘われて、お茶したりお喋りできる友人がいなけりゃ、助けてくれる日本の家族もいない。
話を聞いてほしい唯一の大人、夫も失業してメンタルを病み中。
私はとにかく不満ばかりを考えついては「なんでオーストラリアにおるんやろう…」と病んでいました。
(あかん思考ですね。)
オーストラリアにも楽しいこと、魅力的なところがたっくさんあるのにね。
語り継がれる(誰に)はんぱろ家の暗黒時代。
私が日本でストレス解消方としていたものが、ここでは一切できなかった。
私はオーストラリアでのストレスの解消方が分からず、ただただストレスを溜め込んでいったのです。
トマ子が幼稚園に入るまでも時々体調を壊していましたが、
今回、度重なるストレスで、チリツモもあったんでしょう。
ぽしゃっ…。
と、あっけなく私は潰れてしまいました。
見事にポシャり。
さぁどうなるトマ子?
さぁどうする?はんぱろ母さん!?
英語がわからない娘に救世主現れる!幼稚園で先生とお友達に救われたトマ子
オーストラリア現地の幼稚園に入園し、トマ子は思いっきりメンタルをやられ、
その母までも病み伏せてしまう。
しかも夫の突然の失業。
イヤイヤ期真っ最中のまめ子。
カオス状態のはんぱろ一家。
はんぱろ家の暗黒時代。
しかぁし、そんな暗黒時代もそう長く続かないのでした。
トマ子は担任の先生を怖がっていました。(顔がこわいってさ。失礼やん)
でもですね、副担任の先生がですね、英語がわならないトマ子のためにと、なんと!
日本語を少しずつ覚えてきてはトマ子に話かけてくれるようになったのだ!
しかも!
トマ子のクラスメイトの女の子(Eちゃん)までも、
トマ子のために、「家でお母さんと一緒に日本語を少し勉強てるの♡」と、
朝会うとEちゃんがトマ子に「オㇵョ!アソボ!トマ子、トモダチ!」
なんてフレーズまで覚えてきてくれたのだ!
こんな嬉しいことがあろうか⁈
Eちゃんのお母さんにお礼を申し上げたのがきっかけで仲良くもなりました。
副担任の先生とEちゃんとEちゃんのお母様には本当に本当に感謝しかない。
更には(まだあるぞ)トマ子の隣のクラスの先生が日本語を少し喋れるとのことで、外で遊ぶ時間やランチタイムでトマ子に日本語で話掛けてくれていた。
もう本当に泣けてきた。(先生や校長先生にトマ子の相談したときも、ガチで泣いたアラサー女は私dayo)
娘の登園拒否で母までも病んでしまったが、その闇から這いあげれた考え方。そして…
皆様のおかげ様で(変な日本語)トマ子はとてもゆっくりゆっくりだけど、幼稚園に慣れて行きました。
私の体調はと言いますと、そんなトマ子を見て徐々に回復していきましたが、
きっかけは、
「どうにもこうにもトマ子が現地の幼稚園に慣れなかったら…もう、日本に帰ろう。」
「学校、幼稚園という場所が、トマ子に合わなかったら、辞めたらええねん‼」
「いっちょホームスクーリングって方法もありますやん‼」
「学校が人生の全てじゃない」
と、極端でございますが、このように逃げ道を作る事ができたからだと思っている。
逃げ道を作ることでなんだか心が軽くなったのだ。
そんなにがんばらなくて良い。
無理なら無理で新しい道を行けば良い。
let’s planning an escape route(逃げ道をプランニングしようぜ♬)
だって無理なもんは無理やもん‼
頑張りすぎは体に毒‼
しゃーないことはある‼
人生一度きり、我慢してばっかりはいられない‼
逃げ道の先にも希望はある‼逃げるが勝ちって言葉もある‼
そして人をもっと頼ろう…。信じよう。
ひとりで抱えられる荷物は限りがある…。
この精神に尽きる。
私は元気を取り戻し、皆々様に支えられてトマ子はどうにかこうにかで幼稚園の年中さんを終えたのだった。

よぉ頑張った。ほんまによぉ頑張ったなぁ‼
幼稚園年中さんの終わり頃でもトマ子はクラスのお友達の名前を言えなかったり会話もできませんでしたが、そんなトマ子でも、トマ子を好いてくれるお友達が数人いました。(奇跡)
先生と、クラスメイトにかなり恵まれた一年間でした。
そして次は幼稚園年長さん(プリプライマリ)に上がります。
先生もクラスメイトも変わるし、教室も変わる‼
どうなるトマ子⁈
今回も最後までお読み頂きまして、本当にありがとうございましたm(_ _”m)
後編に続く…。
登園拒否‼幼稚園も保育園も大嫌い‼解決方法は⁈親子で病んだ登園奮闘‐後編‐
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